Iptablesチュートリアルの著者は xxxx年に生まれ...
なんて、冗談はやめておこう。僕は 8 歳の時のクリスマスプレゼントで最初のコンピュータ Commondore 64 をもらった。C-1541 ディスクドライブの付いたやつで、8 ドットのドットプリンタと幾つかのゲームソフトも一緒だった。父は、なんとか動くところまで漕ぎ着け、二日掛かりで遂にゲームをロードする術を会得し、一人でもできるように僕にやり方を教えてくれた。今思えば、これが僕のコンピュータ漬け人生の始まりだった。その時点ではまだ、ほぼゲームで遊ぶだけ。しかし、何度かおもしろ半分で C-64 ベーシック言語もいじってみたりした。数年後には、Amiga 500 を手に入れた。主にゲームと宿題に使いながら、いじくり回した。その次は Amiga 1200 だ。
1993年か1994年のある日、父は Amiga には (残念ながら) 明日はないということを悟った。明日があるのは PC、i386だと。僕の涙の訴えも空しく、父は 50MHz の 486 と 16MB の RAM を積んだ Compaq PC を買い与えた。これがまさしく最悪の設計で、スピーカーからモニタから何から何まで一体化されていた。一世を風靡していた Apple のデザインを真似たつもりだろうが、見事に失敗していた。とはいえ、このマシンこそ、僕を本格的にコンピュータにのめり込ませたマシンだったことは間違いない。コーディングを本格的にやりだしたのも、インターネットを使い始めたのも、最初に実際に Linux をインストールしたのもこのマシンだった。
僕はもう長いこと、熱烈な Linux ユーザであり Linux アドミニストレータだ。僕の Linux 経験は、知り合いから借りた CD でインストールした slackware とともに 1994 年に始まる。この初めてのインストールはほとんど実験的なものだった。全く未経験なため、モデムやら何やらを動作させるだけでえらく時間が掛かった。しかもデュアルブートで別の OS を温存していた。2回目のインストールは circa 1996 だったが、メディアを持っていなかったので 28k8 モデムで slackware の A, AP, D, Nディスクを FTPダウンロードする羽目になった。グラフィカルインターフェイスからは何も学べないと悟っていた僕は、基本に立ち戻った。コンソールあるのみ。svgalib こそあれ、X11 もグラフィックもかなぐり捨てた。顧みれば、この経験がどれほど役に立ったかは疑うべくもない。何かを学ぼうと思ったら、やるしかない状態に自分を追い込んでしまうのが一番ではないだろうか。勉強するしかなかった。そんな状態でほぼ 2年が過ぎた。それからやっと、 XFree86 をスクラッチでインストールした。24時間掛かってやっとコンパイルした挙げ句、設定が出鱈目だったことに気づいて、また一からコンパイルしなおす羽目になった。人間、間違いはつきものだ。間違いは起こる時には起こるものであって、慣れるしかない。それに、こつこつと積み上げていくプロセスは忍耐というものを教えてくれる。急がば回れというやつだ。
2000年から2001年、僕はニュースサイトを運営する或る小集団の一員だった。内容は Amiga 関係のニュースが中心だったが、Linux やその他コンピュータ全般についても扱っていた。 BoingWorld という名称で、サイトは www.boingworld.com にあった (残念ながら今はもう見られない)。当時、カーネル 2.3 がリリース間近で、カーネル 2.4 が姿を現そうとしていた。その中に、今までのコンセプトをほぼ一新するファイヤーウォールが盛り込まれていることを僕は知った。確かに僕も ipfwadm や ipchains は或る程度触ったことがあったが、突き詰めてやった経験はなかった。また同時に、そのドキュメントがほとんどないに等しいということに気づいた。そこで、boingworld に iptables のチュートリアルを書いてみてはどうかと思ったわけだ。有言実行、僕は今あなたの読んでいるものの最初の 5〜10ページを書いた。これがスマッシュヒットとなり、新しい材料をチュートリアルにどんどん加えていった。当初のページはもうこのチュートリアル/ドキュメントには影も形もない。しかしコンセプトは今も引き継がれている。
僕は幾つかの企業で仕事をし、Linux やネットワークの管理をしたり、ドキュメントを書いたり、教材を作ったり、iptables や netfilter やその他諸々に関する質問の Email をくれた数千とは言わないまでも数百人の人たちをサポートしてきた。2度の CERTconf に参加し、それぞれのカンファレンスで 3つのプレゼンテーションを行った。Netfilter ワークショップ 2003 にも参加した。iptables チュートリアルを維持していくのはきつい仕事で、時には虚無感に襲われることさえあるのだが、出来上がってみれば、僕はその仕上がりに満足しているし、作り上げたことを誇りに思っている。筆を持っているこの 2006 年暮れまで、このプロジェクトが数年間に渡ってほとんど休止状態だったことは残念に思う。来年は状況を変え、たくさんの人がこの作品を長きにわたって役立つものと認めて、有用なドキュメントのひとつに加えてくれることを願っている。